旧暦とくらそ

『旧暦のおはなし会」でおなじみの松村賢治さんのもとで勉強されている
たにぐちあやこさん(キュウレキスト)が季節ごとに旧暦にまつわるお話
を綴ります。



旧暦とくらそ① 〜冬なのに新春?


旧暦というのは聞いたことがあるけれど実はあまりよくわからない私がそうであったように、多くの人がそうではないでしょうか。毎日新聞に1年間連載された「旧暦どっぷり」にヒントを得て私なりの視点から毎回旧暦に関する様々なことを紹介していきたいと思います。世界の共通暦(新暦)と違うところ。今年は2月10日が旧暦の元日にあたり、毎年変わるのが特徴です。またこの日は春の初日とされ5月9日までが春の季節です。旧暦では四季がいつからいつまでと、はっきりしているのが特徴です。年賀状に「新春」~と書きますが、その名残なんですね。(2013年3月1日)




旧暦とくらそ② 〜桃の節句の本当の時期

3月3日の「雛祭り」には「桃の花」がつきものですよね。その頃に出回る桃の花は品種や地域でも異なりますがその多くは事に合わせて温室で育てられたものです。自然での開花時期は3月末から4月に入ったちょうど今頃でその昔和歌や俳句に詠まれた本当の雛祭りはこの頃なのです。これは旧暦から新暦に変わった際に日付けだけが そのまま用いられた為で、その他多くの年中行事が実際の季節とずれて行われています。自然を五感で感じる行事。大切に残していきたいものです。(2013年4月1日)



旧暦とくらそ③ 〜端午の節句は梅雨時!?

爽やかな五月晴れの空に鯉のぼりか気持ち良さそうに泳いでいます」という表現がよく使われますが、本来の五月晴れというのは、うっとうしい梅雨時に一瞬晴れ渡った珍しい晴天のことをいいます。今の暦に置き換えると6月13日が端午の節句にあたります。鯉のぼりが今の形になったのは江戸時代後期のことで元はのぼり旗でした。そこに縁起の良い魚とされる鯉が描かれていたようです。男の子の健やかな成長を願うシンボルが雨の中に立てられてこその鯉の滝登りだったんですね。(2013年5月1日)


旧暦とくらそ④ 〜旧暦に合わせて衣替え

夏の日差しになりましたね。夏の初日である四月一日(今年は5月10日)は、平安時代から衣服や調度を夏支度へ取り替える日とされていました。宮中では各社殿の几帳を夏物に、そして夏装束に変えました。現代でも服だけでなくカーペットやカーテンなど夏の設えに替える方も多いと思います。一度片づけた冬服やストーブ等をもう引っ張り出さなくてもよいという区切りの日。これも旧暦を知る方の特典かもしれません。大体の目安としてしっておかれるととても便利です。是非季節の変わり目を実感してみてください。(2013年6月1日)



旧暦とくらそ⑤ 〜七夕の情景

七夕祭の賑わいが出てきましたね。本来の星祭は旧暦七月の七日目の月、上弦の半月の頃に行われていました。宵の口天中近くの半月は夜の10時過ぎには山の端に隠れます。
満月の12分の1の明るさの半月が天の川にかかる時、その辺りだけ川が消え織姫と彦星が逢うことが出来るのです。満月の明るさで天の川さえ見えなかったり雨の多い時では、その妙味が味わえないのが少し残念に思われます。今年の本当の七夕は8月13 日。梅雨も明けた星空を見上げ想いを馳せてみてはいかがでしょうか。。。(2013年7月1日)




旧暦とくらそ⑥ 暦は古いこよみ?!

こよみは「日(か)読み」が語源ともいわれ、それをもとに年中行事等が決められていました。旧暦は月と太陽の運行を融合させた太陰太陽暦です。農業を暮らしの糧とするアジアでは四季の変化を読むのに重宝され、日本でも明治6年までの1269年もの間、使われてきたのですが、改歴以降は旧暦とされ公的には存在しないことになっています。今の暦は太陽暦といい太陽と地球の位置関係から日付けを割り出すシンプルな世界の標準暦です。他のアジア諸国は今でも旧暦を大切にし生活に活かしています。自然と共生するのに役立つ暦を多くの人に知ってもらいたいと日々願うのです。(2013年8月1日)



旧暦とくらそ⑦ 月のかたちでわかる日付

旧暦では七、八、九月が秋。初秋(七月)の行事の七夕も終わり、秋らしくなる中秋(八月)は最も月が見やすい時期で、豊穣を祝い感謝のお供えや観月をする行事「中秋の名月」が、八月十五日の満月の頃に行われてきました。今年は新暦の9月19日にあたります。他の節句や行事のように新暦に替わった際に旧暦の日付をそのまま置き換えてしまったのでは、月の形はまんまるにはなりません。このため中秋の名月や、翌月の十三夜は、旧暦の日付が生かされて季節感の感じられるものになっています。旧暦一日は月立ちのついたちで新月の闇夜。三日は三日月。八日と二十三日頃はそれぞれ上弦、下弦の月で、十三夜は満月の二日前の少しかけた月、十五夜は満月を思い浮かべることができます。昔の人はみんな月をみて今日が何日かを知っていたのです。
(2013年9月1日)



旧暦とくらそ⑧ 〜重陽(ちょうよう)

五節句のひとつ「重陽の節句」は今の私達にはあまり馴染みがないかもしれません。菊のシーズンなので菊の節句ともいわれます。かつて宮中では香りを着物に移したり花弁を杯に浮かべて酒を楽しむという風流な行事等がありました。菊は不老長寿の薬として信仰されていたこともあり、それを取り入れて邪気やけがれをはらい長寿を願う日でした。ところが新暦の9月9日には天然の菊はまだ咲いていません。その為に節句の存在が薄れていったのかもしれませんね。今年は10月13日がその日にあたります。また重陽とは古来中国の考えに基づいています。奇数(陽数)は縁起がよいとされ一番大きな陽の数字が重なる日を重陽としたのです。
(2013年10月1日)


旧暦とくらそ⑨ 〜究極のサマータイム「不定時法」

江戸時代の頃、太陽の日照時間を生かした「不定時法」と呼ばれる時刻法が生活の基準となっていました。明け六つと暮れ六つは太陽が地平線または山の端にあると考えてください。明け六つ(日の出)から30度ずつ五つ、四つ、そして昼九つが頭上90度の正午です。更に八つ、七つ、暮れ六つ(日没)となります。“おやつ”は午後二時半頃の八つ時にあたり、私たちが午後のティーブレイクをそう呼んでいるのも面白いですねこの明け六つ暮れ六つは夏至と冬至でそれぞれ約二時間半の開きがあり、
夏の日が照る時間が長いほど皆よく活動していたのです。体内時計もこのサイクルにあっていたのかもしれませんね。月をみれば日付がわかり、太陽をみれば時間がわかる…素敵だと思いませんか?
(2013年11月1日)


旧暦とくらそ⑩ 
〜旧暦で古典や歴史物語はもっと面白くなる!?

古典や歴史物語は全て旧暦の日付で書かれています。日付けは月の形と連動し、ついたちは新月、十五日は満月になります。今の時期よく取り上げられる四十七人の赤穂浪士の吉良邸討ち入りのお話。その日は十二月十四日、満月の前夜です。今の暦に置き換えると1月30日です。雪が降り積もっていても不思議はありません。同士討ちを避けて満月の明るさと反射する雪明かりを活かしたのでしょう。比較する「曽我兄弟の仇討ち 」は鎌倉幕府の成立した翌年にあった出来事です。十年以上も父の仇討ちを狙っていた兄弟は五月二十八日を選びました。新月に近い闇夜であることがわかります。そして梅雨の最中の激しい雷雨であったこの日、音を消して身を隠したのではないかと想像ができます。大河ドラマや映画に注目してみても楽しくなるかもしれませんね。(2013年12月1日)


旧暦とくらそ⑪
〜毎月末は晦日、年末は大晦日〜

行事が最も多い年末年始。忙しさは昔も今も変わらないようです。大掃除「すす払い」、門松やしめ縄の準備、山に松を切り出し行く「松迎え」は十三日に。お正月を迎える品を両親や目上の人に贈るお歳暮、その他の神仏事。二十八日には御餅をついて仕事収めと思いきや商家は「掛け取り」という一年の掛け売り代金の徴収をする大晦日の仕事を終え、大急ぎで年越し蕎麦を食べ、除夜の鐘。明けては初詣、七草粥、十日戎、そして十五日は小正月(お飾り等を焼くどんど焼きの日)。自然や神仏を尊び、生かされていることへの感謝する日本人。相和して睦(むつ)み合う月「睦月」は、旧暦迎春一月の名称として相応しいと思いませんか?
(2014年1月1日)


旧暦とくらそ⑫
〜 雑節『節分』〜

二十四節気や五節句よりも、季節の変化を細かく読みとり生活に深く密着したものとして根付いた日本独自の雑節があります。
そのひとつに「節分」があり、これは季節の分かれめを意味します。
旧暦時代にも考え方としてあった太陽暦(今の暦)の季節の始まりを立春、立夏、立秋、立冬とし、本来はその前日を各々節分としていました。
旧暦では立春に近い新月を春(一年)の始まりとしていました。
年の変わり目は邪気を払うという風習が今も色濃く受け継がれているのかもしれません。そのためか現在は春の節分だけを「節分」と呼んでいます。
(2014年2月1日)

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